2018年04月01日

いのち。

今年も3・11が来ました。沖縄は抜けるような青空が広がり、汗ばむ陽気でした。

東北で多くの方々が辛い経験をされたこの日。


私は子どもたちと知人の息子さんの告別式に参列していました。



元気な彼に最後に会ったのは、小学校一、二年生。

去年は高校一年生になりましたから、10年位ぶりに お通夜でこんな形で会いました。


この10年、直接本人には会わなかったけれども、私達のスタッフが彼らと仲良しで、彼の話はいつも話題に上り、身近な存在でした。

だから、本当に身近に繋がっていた感じ。



こんなに大きくなったのに。


不慮の事故でした。


彼のお母さまが告別式で挨拶された時に

「R(彼)は平和主義者でした」
と紹介されたように、
彼は人を傷つけるようなことは、さりげなく回避できる感性の持ち主だったようです。

たくさんは喋らないのに、彼の周りにはいつもたくさんの友人がいました 。


亡くなり、更に彼のエピソードを聞くたびに、
拳を挙げない、怒り表さないで、
平和というか
ピースフル、
満ちた平安、

を大事にできた彼だったんだと。


亡くなり、その後の葬儀までのさまざまなことが、
すごく整い、

彼らしい形で
全てが彼らしく進んだので、

彼が初めからこのように計画して
家族や、
本当に多くの友人たちに
彼の気持ちを表したような

彼の存在を感じるような

そんな数日間でした。


私はその時に、厄介な問題を3つほど抱えていて、

毎日鬱々と過ごしていました。


彼に通夜で会い、彼の時間が止まってしまった現実に、

生きるとはそういうで


私が持っていた困っていた問題は
なんでもない。
そう思うようになりました。

そして
彼の両親は、彼の好きなことをとことん続けさせていたようで、

彼は17年という歳月を、十二分に
生き抜いたんだと思いました。
多くの友人たちに囲まれ、たくさんの老若男女に惜しまれ

空に旅立ちました。


私達の寿命というか、いのちの時間は
誰にも分からなくて、

時には突然、そのときはやってきて

容赦ないのですが

一人一人、いのちの時間はそれぞれで

みんな天寿を全うするのだと思います。

彼に教えてもらったことは、私もたくさんあるし

一緒に過ごした時間はほとんどなかったうちの子どもたちにも

彼は何かくれたと思っています。



葬儀の後は
すぐしたにある公園で、四人で久しぶりに凧揚げして いました。

ずっと空を見上げていました。



本当にありがとう、R。



Posted by 麦焼屋・南恩納トロピカル at 16:05│Comments(1)
この記事へのコメント
限りある命、残された時間を納得いくように生きる、お互いに尊重し合う、命の重みを感じ合える、すこしでもそうあればと思うばかりです。なので、はるか見上げる青空だったんですね。
Posted by 花こま at 2018年04月05日 11:37
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