2020年02月05日
震災
私の中での初めての大きな震災は、阪神淡路大震災。
あの日、私はニュージーランドの羊牧場にいた。
知り合いを通じてファームステイをさせてもらい、ちょっとした労働をしながら食事と部屋を提供してもらう、どちらがボランティアかわからないような、形だけのボランティア。
楽しんでいるなかで、
『はる、はる!あなたの国が大変になっている!』
みんなテレビに釘付け。
家族は大丈夫?の問いに、
うちはかなり離れているから、と言ったけれど、あれが日本?という信じられない映像に言葉がなかった。
もうすぐ帰国が迫っていたけれど、私はニュージーランドを出国したあと、フィリピンに寄る計画だった。
大好きだったた仲間とは一緒に居られなくなるという、一年の休学をやっと決断した。その一番の目的であるフィリピン訪問。
関西出身の父親に、
海外でボランティアしていないで、はやく帰国して神戸にいくべきだ、と言われた。
でも、やはり譲れなかった。
結局フィリピンによって、3月の同級生の卒業式に間に合わせて帰国。
神戸は足がなかなか向かなかったが、尊敬する先輩が震災のNPOを立ち上げて、ずっと神戸の人を支援していた。
復学が落ち着いた頃、先輩を通じて神戸に行ったり関わったり。
それはあの時の償いみたいな、自分の罪悪感を無くすための行為だった、と今は思う。
そこにいらっしゃった神戸の人々を、わたしはちゃんと見れていなかったと思う。
先月、友達から原田マハさんの『翔ぶ少女』をもらい、読んだ。
阪神淡路大震災が舞台の小説。
初めてあの時の人たちが、私の中に入ってきた。やっと繋がる入り口に立てた気がした。
原田マハさんの文章力が、読者をあの当時の世界へ、引き込む。
ぜひ一読をオススメします。
あの日、私はニュージーランドの羊牧場にいた。
知り合いを通じてファームステイをさせてもらい、ちょっとした労働をしながら食事と部屋を提供してもらう、どちらがボランティアかわからないような、形だけのボランティア。
楽しんでいるなかで、
『はる、はる!あなたの国が大変になっている!』
みんなテレビに釘付け。
家族は大丈夫?の問いに、
うちはかなり離れているから、と言ったけれど、あれが日本?という信じられない映像に言葉がなかった。
もうすぐ帰国が迫っていたけれど、私はニュージーランドを出国したあと、フィリピンに寄る計画だった。
大好きだったた仲間とは一緒に居られなくなるという、一年の休学をやっと決断した。その一番の目的であるフィリピン訪問。
関西出身の父親に、
海外でボランティアしていないで、はやく帰国して神戸にいくべきだ、と言われた。
でも、やはり譲れなかった。
結局フィリピンによって、3月の同級生の卒業式に間に合わせて帰国。
神戸は足がなかなか向かなかったが、尊敬する先輩が震災のNPOを立ち上げて、ずっと神戸の人を支援していた。
復学が落ち着いた頃、先輩を通じて神戸に行ったり関わったり。
それはあの時の償いみたいな、自分の罪悪感を無くすための行為だった、と今は思う。
そこにいらっしゃった神戸の人々を、わたしはちゃんと見れていなかったと思う。
先月、友達から原田マハさんの『翔ぶ少女』をもらい、読んだ。
阪神淡路大震災が舞台の小説。
初めてあの時の人たちが、私の中に入ってきた。やっと繋がる入り口に立てた気がした。
原田マハさんの文章力が、読者をあの当時の世界へ、引き込む。
ぜひ一読をオススメします。
Posted by 麦焼屋・南恩納トロピカル at 16:25│Comments(0)